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きょう聖(ねこミミ)

きょう聖(ねこミミ)

山崎正友の政治家騙し

2005/11/12
 山崎正友のウソで、政治家が騙された「決定的瞬間」を永遠に記し残すべく、書籍から抜粋。

 まとめると、
 「民主政治研究会」の第1回勉強会で、島村宜伸代議士は、学会攻撃の講師として呼ばれた山崎正友に対し、「先生」「先生」と盛んに持ち上げ、歓待した。
 山崎正友は懲役実刑3年の「恐喝犯」ですからね(´A`)
 「再審請求をする」といいながら、今年でもう10年以上も経ってますからね(´A`)

 民間人でありながら、「組閣発表の前日」に次の大臣ポストをすでに知っていた池田名誉会長。その「発言テープ」が勉強会で流された。
 議員「組閣の前日?」
 山崎「組閣の前日でございます」
 議員「前日……」
 山崎「はい」
 議員「はあー」
 大臣ポストの予想は、前日の新聞各紙で、すでに報じられていますからね(´A`)
 新聞、読んでないんですね(´A`)

 山崎が勉強会で、
 「(昭和43年の参院選で、青年部が行なった替え玉による違法な不在投票は)新宿区だけでおそらく5千票を超えていると思います」
 と述べると、会場内の自民党代議士から、
 「ウォー」
 という声があがった。
 昭和43年、昭和46年の参院選挙の新宿区の不在者投票者数は、全部を合計しても2400票前後ですからね(´A`)
 本当にやっちゃったのは13票。 裁判では山崎が学会側弁護士として出廷し、決着したよね(´A`)

民主政治研究会で講演

 山崎正友「表立った動き」を開始したのは、相次ぐ証人喚問要求の狂乱の最中の十一月十六日のことであった。舞台は民主政治研究会(民政研)。後に文部大臣として、宗教法人法改変を進めることになる島村宜伸代議士を中心とした自民党内の勉強会である。その後、「憲法二十条を考える会」、さらには「四月会」と、反学会勢力の野合団体の結成へとつながっていく集まりである。
 民政研は、十一月十六日、二十六日、十二月二日、九日、十六日、二十二日の計六回、ほぼ週一回のハイ・ペースで開かれた。もとより「民主政治」とは看板だけで、その実態は山崎、竜年光、内藤国夫、乙骨正生らを招いて学会攻撃の手立てを探ることが目的である。
 ちなみに、いずれの会合も議員会館など国会の施設内で行なわれたものであり、特定教団に対する謀議が国会の施設でこらされたことを問題視する声もあるが、山崎は、この六回の研究会のうち四回にわたって講師として登場。舌先三寸、学会に対するデマ、ウソの限りを並べ立てては、出席した議員に学会攻撃を煽り立てたのである。
 第一回勉強会の開始は午前八時。早朝にもかかわらず、五十人を超える議院が詰めかけたという。冒頭、あいさつに立った島村代議士は、悪質な恐喝事件、盗聴事件で世間を騒がせた山崎に対し「先生」「先生」と盛んに持ち上げ、下にも置かぬ歓待ぶりで遇した。
 ここで山崎は、『週刊新潮』十月二十一日号をはじめ一部マスコミで自らが書き立てていた宮本邸盗聴事件を中心に話した。これは当時、郵政大臣であった神崎武法代議士が、かつて山崎が独断で立案・実行した宮本顕治氏宅の盗聴事件の“仲間”だったという内容である。既に「マスコミ・ゴロ」のくだりで述べたとおり、そもそもこれらの記事自体、どこを読んでも神崎氏が関わったという具体的な記述は出てこないというシロモノだったが、出席した政治家たちは、こうした山崎のウソ、デタラメをまともに取り上げ、「真実を国会で明らかに」などと騒ぎ立てたのである。

居並ぶ国会議員を前にウソ八百

 第一回の勉強会で山崎は、さらに池田名誉会長の発言と称するテープを政治家たちに聞かせている。いわゆる“大臣発言”として、その後ことあるごとに政治家たちが騒ぎ立てたテープである。
 これは連立政権の組閣発表の前日八月八日に、池田名誉会長が三人の大臣の名を挙げたというもの。この大臣ポストの予想については、その日の新聞各紙で既に報道されていたものであり、その名前を知っていたからといって何ら驚くには当たらない。たとえば、八月八日付『読売新聞』(朝刊)は、こう報じている。
 公明党は、石田氏が総務庁長官、神崎武法国会対策委員長が郵政相、坂口力・元政審会長が労相、広中和歌子参院議員が環境庁長官にそれぞれ起用される方向だ」
 ところが山崎は、居並ぶ議員に、こうブチ上げた。
 「八月九日組閣の前日に、池田さんがうかれて口走ったという、その幹部会での演説内容を、幸いテープを入手いたしました。そのさわりの部分をちょっとお聞かせしようと思いますが、いかがでしょうか」
 テープが流れると、ある議員がから質問が出た。
 議員「組閣の前日?」
 山崎「組閣の前日でございます」
 議員「前日……」
 山崎「はい」
 議員「はあー」
 山崎は国民の誰もが知り得る情報を話しただけのこと。ところが「組閣の前日」と、ことさら強調して山崎の口車に、まんまと引っかかってしまったわけである。
 その後、このテープを「これぞ政教一致の動かぬ証拠」とばかりに大騒ぎした議員は数多い。たとえば下稲葉議員は翌平成六年一月、創価学会の名誉会長さんが組閣の前の日に多くの方々の前で具体的に労働大臣、総務庁長官、郵政大臣と名前を出しておられるんですね」「宗教団体のトップにある人が多くの信者さんの前でそういうふうなことをおっしゃるということは、これはもう大変なことじゃないか」などと言い出す始末であった。
 本来、何の問題もない事柄について、事実を歪め、粉飾を凝らし、あたかも重大問題が起こったかのように見せかける。山崎の手口は、見事に「図に当たった」のである。

 (計六回、行なわれた「主政治研究会」の講演のなかでも)注目されるべきは、平成五年十二月九日におこなわれた山崎の“講演”である。山崎はそのなかで、昭和四十三年の参議院選挙の際におこなわれた選挙違反事件に言及している。この事件は山崎がみずから弁護士として携わった事件であり、その詳細について知っているにもかかわらず、とてつもない嘘をついた。山崎が、
 「あの昭和四十一年(著者注:昭和四十三年の間違い)に新宿区で集団替え玉投票事件がありまして、あのー、不在者投票、あのー、投票券を郵便局からかっぱらってきまして、それを公明党の区会議員が選挙人名簿に照合しまして、年齢とか本籍とか調べて、そして替え玉を仕立てて不在投票で替え玉をやりました。新宿区だけでおそらく五千票を超えていると思います。
 投票を全都で二万票近い、私が掌握したのは、それだけで集団替え玉投票をやりました」

 と述べると、会場内の自民党代議士から、
 「ウォー」
 という声があがった。(略)
しかし、この山崎の嘘はあまりにも骨董無形すぎた。東京都選挙管理委員会が公表した『昭和43年7月7日執行参議院議員選挙の記録』(昭和四十四年二月二十五日発行)によれば、昭和四十三年の参議院選挙における新宿区の不在者投票者数は二四〇四名。三年後の昭和四十六年の参議院選挙における新宿区の不在者投票者数は東京都選挙管理委員会の発表によれば二三二〇名。ほぼ変わらない数字である。


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